エプタこぼれ話「舞鶴 岸壁の記憶」編ーその1

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     エプタ新年号の特集は、「舞鶴」にスポットをあてました。「舞鶴」という美しい名前を持つ港町は、歌や映画で有名な「岸壁の母」の舞台として広く知られています。その影響もあってか、舞鶴といえば、まず引揚港が連想され、どこか物悲しく暗いイメージを抱いている人も多いのではないでしょうか? 

     ちなみに「舞鶴」という地名の由来は、「地形が鶴が舞う時に羽を広げた姿に似ているから」、「戦国時代の武将•細川藤孝(幽斎)が、鶴が舞い降りた場所に田辺城(別名舞鶴城)を築いたから」など諸説あります。

     舞鶴が京都府にあるというと、「えっ、そうなの?」という人も少なくありません(あくまでも関東での反応です)。ところがーー、京都駅から東舞鶴まで特急で1時間半余り。日本海の若狭湾に面した舞鶴は、豊かな自然に恵まれた風光明媚な街でした。歴史や文化も奥が深く、知れば知るほど興味がわいてきます。エプタ新年号の特集〈舞鶴 岸壁の記憶〉では、そんな舞鶴の多彩な表情、魅力を紹介していますが、ここでは本号で紹介しきれなかったお話や見どころ情報、取材中のエピソードなどをお伝えしたいと思います。

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     まずは引き揚げの町としての舞鶴について、少しお話しいたします。ご存知の方も多いと思いますが、舞鶴は昭和33年まで13年間にわたって66万人もの引揚者を迎え入れました。昭和30年代といえば、日本は戦後の復興から高度経済成長期に入り、「もはや戦後ではない」という流行語も生まれました。けれど、多くの引揚者やそのご家族にとっては、ずっと戦後は続いていたのです。

     昨年、舞鶴市引揚記念館を訪れて、改めてその事実に気づきました。記念館には、引揚者やそのご家族から寄せられたメッセージが数多く遺され、「語り部の会」のメンバーが引揚の歴史を学びながら、引揚者の体験や声を語り継ぐ活動をされています。

     戦後の混乱期のなかで、さまざまな人々のドラマを見つめてきた舞鶴。それらの引揚げの記憶をユネスコ世界記憶遺産登録へという、舞鶴市民や関係者のさまざまな取り組みと熱い思いが実り、昨年、国内候補に選ばれました。そして、今年の夏、いよいよ国際査問委員会により最終決定がくだされます。

     終戦から70年目という歴史の節目を迎える今年、きっと多くのメディアが、戦争についてさまざまな形で取り上げることでしょう。世界各地で紛争が続く中、平和憲法を持つ私たち日本人にとっても、もはや「戦争」は他人事ではなくなりました。戦争とは何か? 平和とは何か? 私たち一人ひとりが真摯に過去と向き合い、歴史を学び、考えていかなければならないと思います。そのきっかけになることを願って、今年の新春号のテーマに「舞鶴」を取り上げました。

     ( その2に続く) 




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